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瀬井 達也さん(ビーチバレー)

瀬井達也さんの写真

プロフィール

名 前

瀬井 達也(せい たつや)

生年月日

1982年11月11日

出身地

熊本県

所 属

国際石油開発帝石株式会社(2021年4月から株式会社INPEXに社名変更)

瀬井達也選手は、第21回夏季デフリンピック競技大会台北2009に6人制バレーボールの代表として出場。その後、ビーチバレーに転向して第23回夏季デフリンピック競技大会サムスン2017に出場しています。数多くの経験を積んできた瀬井選手に、これまでの歩みや2022年5月に開催予定の第24回夏季デフリンピック競技大会カシアス・ド・スル2021(以下カシアス・ド・スル大会)への意気込みをうかがいました。

バレーボールを始めたきっかけを教えてください。

 バレーボールは中学1年生のときから始めました。当初、中学では部活に入るつもりはなかったのですが、先輩に「ちょっとこれに名前を書いて」と言われて書いたのが入部届けでした(苦笑)。だから最初は嫌々始めました。

実際に始めてみてバレーボールに対する印象は変わりましたか?

 中学のときは、監督が厳しくて毎日辞めたいと思っていました(苦笑)。でも、部活を引退してバレーボールをやらなくなったときに、やっぱり自分はバレーボールが好きだったと気づきました。毎日やっているときはわからなかったのですが、いざ競技を辞めて時間ができると、他のことよりもバレーボールをやりたいと思いました。そして高校でもバレーボールを続けることにしました。

競技を続けるなかで本格的にデフリンピックを目指すようになった経緯は?

 大学生のときに第20回夏季デフリンピック競技大会メルボルン2005に向けて日本代表に呼んでもらいました。このときは、大会が行われる1月が大学の試験期間と重なっていたこともあって辞退しました。その後、社会人になって改めて日本代表に呼ばれたときに、いろいろな人から「世界はいい経験になる」という話を聞いて、僕もデフリンピックを目指してみようという気持ちになりました。でも日本代表の練習は朝から晩まできつかったですね(苦笑)。

きつい練習を乗り越える秘訣を教えてください。

 辞めるのは簡単じゃないですか。だから「きついな」と思うときは中学のときのことを思い出します。バレーボールを辞めても、その先にもっとやりたいことがあるわけではないですから。しかも、体を動かせるのは若いときだけなので、きつくても続けようと思っていました。

チームスポーツの難しさや、楽しさはどのように感じていますか?

 僕たちの場合は、一般のチームスポーツとは少し違うのかなと思います。同じ聞こえない人同士のチームでも、その中には難聴の人とろう者(※)がいます。育ち方が違うと文化がまったく違います。ある意味、外国の選手と一緒にプレーするような感じです。コミュニケーション、考え方をすり合わせるのが一番難しかったのですが、難しさがあるからこそ、一緒にプレーをして試合で勝つと、嬉しくて楽しいです。

(※)聴覚障害者を下記のように分類することがあります

難聴者:聞こえにくいけれど、まだ聴力が残っている人で、補聴器を使って会話できる人から、わずかな音しかはいらない難聴者までさまざま

ろう(あ)者:音声言語を習得する前に失聴した人で、多くは手話を第一言語としている

参考:「障害のある人のスポーツ指導教本(初級・中級) 2020年改訂カリキュラム対応」

2009年には6人制バレーボールでデフリンピックに出場していますが、初めて経験したときのデフリンピックの印象を教えてください。

 大げさかもしれないですけど、自分の人生が変わったなと感じました。国内では出会えないさまざまな国の選手と出会えますし、国際大会に出るということは、それだけ視野が広がることにもなります。実際に出場して、とても良かったと思っています。

その後、ビーチバレーに転向したのはどういった理由があったのでしょうか?

 デフビーチバレーの日本代表監督でもある牛尾洋人(うしおひろひと)さんが、1年に1回、耳が聞こえない人たちだけでのビーチバレーの大会をやっていて、僕も20代のときから参加していました。そのたびに牛尾さんから「ビーチバレーをやってみない?」と誘われていました。でも、日焼けが嫌だからと遠慮していて(笑)。それから年齢も重ねてきて、気持ちも少しずつ変わってきたなかで、改めて牛尾さんに誘われて、「やってみます」という返事をしました。

転向してみて6人制との違いに戸惑うことはありませんでしたか?

 目に見えてわかる違いは、砂の上でプレーすることです。思った以上に動けないですし、コートは6人制よりは少し狭いとはいえ、2人でプレーするには十分広いので、思うように体を動かせなくて大変だったことが印象に残っています。慣れるためにひたすら練習して、3~4年かけてやっと砂の上の感覚に慣れたと思います。

ペアを組んでいる今井勇太(いまいゆうた)選手はどんなパートナーですか?

 今井選手は一言で言うとストイックです。勝つことに対して一番よく考えている選手です。熱くなってケンカをすることもありますけど、お互いの気持ちをぶつけることは、国際大会で勝つためには必要なことだと思います。

コートではどのようにコミュニケーションを取っているのでしょうか?

 練習や練習試合のときはコートの中でも手話を使ってやりとりするのですが、大会のときはどうしても時間が限られてしまいます。だからコミュニケーションを取らなくてもプレーできるように、練習や練習試合で約束事を決めて、本番に挑むという形です。しっかり準備をしているので、試合のときは会話をしなくても意思疎通ができます。

コンビを組む今井勇太選手(写真左)とは試合中に会話しなくても良いほど意思疎通ができている
(写真提供:一般社団法人日本デフビーチバレーボール協会/小池義弘)

逆に聞こえないからこそのプラス面はありますか?

 今までずっと聞こえないなかでやってきたので考えたことがありませんでした。でも確実に言えるのは、聞こえなくても、一般の人たち同じようにできるというのを見せられることが、良いところかもしれません。「聞こえないからできないのではないか?」と言われることもあるので、一般の人と同じようにできるということをプレーで見せたいです。スポーツは障害があっても健常者と一緒にできることが魅力だと思っています。

障害があるとスポーツを始めることを難しく感じている方もいるかもしれません。障害者スポーツの発展のためにはどんなことが必要だと思いますか?

 僕自身はスポーツを難しいと思ったことはありません。もちろん、障害のある人でも使いやすい施設、設備も大事だと思いますが、一番大事なのは家族の理解だと思います。僕の友達でも家族の理解が得られなくて始められなかった、辞めてしまったという人もいます。だから家族の理解が一番必要だと思います。

カシアス・ド・スル大会が近づいてきました。目標を教えてください。

 前回大会は9位という結果でした。今回はそれ以上ということで「金メダル」と言いたいところですけど、まだまだ積み重ねていかないといけない部分はたくさんあります。最低でもベスト4を目指します。

この先やってみたいことや夢はありますか?

 3歳の子どもがいるので、子どもが大きくなったときに何かスポーツを一緒にやるというのが夢です。毎年夏に横浜市の「海の公園」でビーチバレーの大会があって、その大会は年齢制限がありません。だから子どもが中学生くらいになったら一緒に出たいなと思っています。

(取材・文/ベースボール・マガジン社、撮影/桜井ひとし、手話通訳/根本由家)