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パラスポーツインタビュー詳細

桐生 寛子さん(パラ・パワーリフティング)

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プロフィール

名 前

桐生 寛子(きりゅう ひろこ)

出身地

東京都墨田区

 日々の積み重ねが結果に直結し、成長を目に見える数字で測りやすいパラ・パワーリフティング。今回はパラ・パワーリフティング女子61kg級の日本記録保持者・桐生寛子選手にインタビュー。今まで持ち上げられなかった重量を挙げることができたときの達成感や爽快感が大きな魅力と桐生選手は話します。パラスポーツとの出会いからパラ・パワーリフティングに夢中になったきっかけ、これからの目標などを伺いました。

受障の経緯についてお聞かせください。

 2010年2月にスノーボード中の事故で脊髄(せきずい)を損傷しました。手術や治療のため(事故に遭った)新潟県の病院に1か月ほど入院して、その後、埼玉県にある国立障害者リハビリテーションセンター(以下、国リハ)に移り、半年間、車いすで生活するためのお風呂の入り方やトイレの使い方などを習って退院しました。新潟県の病院はみないい人ばかりで居心地がよかったです。国リハは脊髄損傷の病棟があって同じくらいの年齢の子もいたので、暇な時間にみんなで遊んだりして合宿みたいな雰囲気でした。入院中は仲間も理解者も多くいましたが、退院後は社会に出されて、これからはひとり車いすで生きていかなければならないんだと実感しました。退院してすぐに地方公務員の試験を受けて、その翌年から役所で働きましたが、車いすで仕事をするのは環境面でも大変なことがいっぱいあり、この時期が精神的に1番つらかったですね。

スポーツの経験はありましたか?

 スポーツは幼い頃からいろいろやっていました。幼稚園と小学生のころは体操や水泳をやって、中学と高校では部活でバスケットボールを、大学に入ってからは趣味でスノーボードを始めました。どれも本格的に取り組んでいたわけではないのですが、運動神経に自信があって体育大学に通いたいと思ったこともあるほどスポーツが取り柄でした。

パラスポーツと出会ったのはいつですか?

 国リハに入院していた頃から社会復帰に向けたリハビリの一環で車いすバスケットボールや水泳などをはじめたので、パラスポーツは身近にありました。もう1度スノーボードをやりたいという気持ちも大きかったですね。雪山は気持ちがいいし景色もきれいで、それに何より楽しいんです。スキーで事故に遭った男の子が同じ時期に入院していたのですが、彼も雪山に戻りたいと言っていました。そんなとき、障害者向けの雑誌で「チェアスキー」を知り、座って滑ることができるみたいだよと話して、退院後にその子と体験会に行ったこともありました。

そこから本格的に競技を始めてみようと思った理由は?

 チェアスキーの体験をしたあとも、サーフィンをしたり、ハンドバイクと呼ばれる手でこぐ自転車に乗ったり、いろいろなスポーツをする機会がありました。最初は趣味で楽しむ程度でしたが、やっていく中で、自分の力を試してみたい、競技としてスポーツに取り組んでみたいという気持ちが湧いてきました。

 また車いすの仲間の中には、人前に出て講演をしたり、精力的に活動している子も多くいました。自分自身は仕事もしてなくて、やっていることといえば趣味でスポーツを楽しんでいるくらい。このままでいいのかな、私に何ができるのかな…と考えるようになり、自分にはやはりスポーツしかないと思ったんです。そして、2019年12月に競技としてパラ・パワーリフティングを始めました。

東京都と東京都障害者スポーツ協会が開催している「パラスポーツ次世代選手発掘プログラム」も、大きなきっかけになったそうですね。

 2018年頃から選手発掘プログラムに3、4回ほど参加し、そこで陸上のレーサー(競技用車いす)を体験したことがありました。そのときに日本パラ・パワーリフティング連盟の方も来ていて、私の腕を見て声をかけてくれたのですが、実はその時はあまり興味がありませんでした。絶対に腕が太くなるし体重も増えるし…そういう体つきになるのに女性として抵抗があったんです。ところが、そのあとに開催された選手発掘プログラムに行くと、またその連盟の方が参加されていて、元々いろいろなパラスポーツを体験してみたいという気持ちはあったので、1回やってみるのはいいかなと思い、後日、品川区にある日本財団パラアリーナで行われた練習会に参加しました。

その練習会への参加が、パラ・パワーリフティングに取り組むきっかけになったのですね。

 練習会に誘われたものの、ひとりで体験しに行くのは心細かったので、パラスポーツが好きな車いすの友人を誘って、ふたりで行きました。その友人は私より背も体も小さくて華奢(きゃしゃ)なのですが、私よりも重い重量を挙げているのを見て衝撃を受けました。それと同時に悔しくて、私も重いバーベルを持ち上げてみたいという気持ちになり、パラ・パワーリフティングに挑戦することを決めました。また、たくさんの用具を持ち運ぶ必要がないというのもこの競技を選んだ大きな理由でした。例えば、車いすバスケットボールは競技用の車いすを持って移動しますが、私は車の運転ができないので、練習や試合に用具を持っていくのが大変なんです。それに対してパラ・パワーリフティングは、ベンチ台が練習場や試合会場にあるので何も持っていかなくていいですし、自分が使用するベルトやリストバンドなどは電車移動でも持ち歩けます。練習場所も自宅からそれほど遠くなかったので、そういう環境面でもマッチして自然と練習に行くようになりました。

練習は週にどれくらい行っていますか?

 練習頻度は週に3回です。3回といっても、軽めの日、中くらいの重さの日、一番重いものを挙げる日と、強度を変えて練習をしています。内容としては、トレーニングでかける負荷に対してMAXの重量で行うわけではなく、指導者が作ったメニューをもとに、例えば(MAXの)60~70パーセントの重さのバーベルを6回挙げる練習を5セット行い、そのあとベンチプレスやダンベルを使って筋トレをするという感じで2~3時間ほど取り組みます。他の競技だと毎日何時間も練習すると思いますが、パラ・パワーリフティングでは筋肉への直接的な負荷も高いため、トレーニングの一環として休みをとることで筋肉を強化しています。

大会に出場するごとに記録を伸ばしていますね。

 初めて出場した大会は、2020年2月に行われた「第20回 全日本パラ・パワーリフティング 国際招待選手権大会」です。競技を始めてまだ2、3か月でしたが、当時は今と違って、女子の競技人口が少ないということで、標準記録に届かなくても出場できました。階級は50kg級で出場して記録は40kgでした。その後、体調を崩して大会に出ていない期間もありましたが、国内外の大会にも出場しながら記録を順調に伸ばし、今年4月に行われた第6回パラ・パワーリフティング チャレンジカップ京都で72㎏の日本新記録を挙げることに成功しました。今年8月に開催された2023ドバイ世界選手権(以下、世界選手権)では思うような結果が出せなかったのですが、少しずつ成長していると思っています。

着実に成長を続ける桐生選手

初めて出場した世界選手権はいかがでしたか?

 パリ2024パラリンピック競技大会に出場するには絶対に出なければいけない大会だったので、世界中から多くの選手が参加していました。試合で選手が入場するときには花火があがって、まるでコンサートの歌手みたいな気分でしたね。観客の数も舞台の大きさも他の大会とは規模が違っていて、この場に立てるのはすごいことだと感じました。肝心の試合は、バーベルを持って「スタート」という声がかかった瞬間、一気に緊張してしまい、思うようなパフォーマンスができませんでした。ただ、国際大会は昨年に韓国とドバイの大会に出ていて、今回が3回目だったので緊張はしましたが、終わると「楽しかった」という気持ちが残りました。

試合では試技の時間や回数が限られています。精神的な部分で気を付けていることは?

 世界選手権に向けて初めてメンタルトレーニングを受けました。トレーナーに話を聞いてもらったり、考え方の手法を教えてもらったことで、普段よりも試合で緊張しなかったと思います。もちろん、緊張感も大事なので、ほどよくは持ってないといけないのですが、過度に緊張すると逆に悪い結果にもつながるので、これからメンタルトレーニングの勉強にも取り組んでみようかなと思っています。

競技をしていて、つらいと思うことはありますか?

 練習はキツいですが楽しいので、つらいと思ったことはありません。この競技をやっていて葛藤があるのは体型のことです。友達と並んだときにやっぱり体つきが違うので、それが女性としての悩みですね。

休日の過ごし方は?

 友人と食事に行って気分転換することもありますが、できるだけ家で体を休めるようにしています。出かけるとどうしても体に疲れがたまって、次に練習したときに体が重いなどコンディションがよくないことがありました。休むときはしっかり休むのがルーティーンのひとつなので、家で過ごすようにしています。練習に支障が出ないように、今は趣味でやっていたスポーツも封印して、パラ・パワーリフティングのことだけに集中しています。

これまで健常者の大会に出たことがあるんですよね。

 高校時代はインターハイ予選会に出場しました。各地区の予選を突破して東京都大会に出場することができましたが、決勝に残ることはできませんでした。力不足でしたね。東京都の高体連の大会では、ご厚意でスタート位置を調整してくださったこともありました。スタート時に一番外側のレーンになると前の人が見えないんです。ですから、内側のレーンにしてもらって、前の人が視野に入るようにスタートのタイミングがわかるよう、調整していただきました。

ネイルを楽しんでいらっしゃいますね。

 初めて出場した韓国でのアジア・オセアニア選手権のときからネイルをしています。爪が弱いというのもありますが、観客にバーベルを持つ手も見られるので、おしゃれをしようと思って始めました。

憧れの選手はいますか?

 パラ・パワーリフティングの三浦浩選手が私と同じ墨田区在住で、競技を始めた当初から気にかけてくれて、お土産をいただいたり誕生日を祝っていただいたこともあります。三浦選手は、試合に登場した瞬間に観客に手を振って、試技をする前はカメラに向かってポーズをとるのがルーティーンで、3回の試技をほとんど成功させます。ご本人に会うとパワーをもらえるので、私も三浦選手のように、人にパワーを与えられるような試技をして、見ている人が前向きな気持ちになって「自分もがんばろう」と思ってもらえるような選手になりたいと思っています。

桐生選手にとってパラ・パワーリフティングの魅力とは?

 今まで持ち上げられなかった重量を持ち上げたときの達成感や爽快感がやみつきになるんです。自分の場合は努力した分だけ結果につながることが多いので、徐々に重いバーベルを持ち上げられるようになって記録が伸びるのも楽しいです。

 観る人には、選手が試技をする前に会場中がシーンと静まり返ったときの緊張感を味わってほしいです。そして、審判になった気分で、胸の位置でちゃんと止まっているか、バーベルがまっすぐ挙がっているのかなど、細かいところを見てもらうと、より楽しんでもらえると思います。

張り詰めたような緊張感を会場で体感してほしい

今後の目標について、お聞かせください。

 大きな目標が2つあって、1つ目の大きな目標としては100kgを挙げたいという思いがあります。直近の目標としては12月9日(土)、10日(日)に築地本願寺で開催される「第24回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会」(以下、全日本選手権)で確実に自己ベスト(72㎏)を更新することです。75~76kgを挙げたいと臨んだ8月の世界選手権で、実力を出し切れず不完全燃焼で終わったのでリベンジしたいです。今回の全日本選手権では78kgを目指し、そして来年3月にドバイで開催される大会、次のマンチェスターの大会に出場して、パリ2024パラリンピック出場につなげたいです。もちろん、12月の全日本選手権で結果を出さなければ、来年の国際大会に出場するための選考に残ることができません。そのためにも今は全日本選手権に向けて練習に励んでいるところです。

 また、パワーリフティングは50代の現役選手が活躍するなど、競技を長く続けることできるということも魅力の一つです。三浦選手が59歳(令和5年11月現在)で現役選手として続けているので、私も三浦選手のように、60歳くらいまで長く競技を続けることがもうひとつの目標です。

夢は100kgを持ち上げること

☆TOKYOパラスポーツチャンネル「第24回全日本パラ・パワーリフティング選手権」ライブ配信のお知らせ

桐生選手も参加予定の「第24回全日本パラ・パワーリフティング選手権」が、12月10日(日)に「TOKYOパラスポーツチャンネル」にて中継されます。YouTubeでライブ配信を実施、どなたでもご視聴できますので、ぜひご覧ください。詳細は下記WEBサイトにてご確認ください。

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